帰郷、可能世界

ひさしぶりの2連休なので、実家に戻った。徹夜明けで運転したせいか、ぼーっとして、2回ぐらいスリップした。地元の友達と食事した。脱力ぶりに一段と磨きがかかってるな、といわれた。父母と仕事やら結婚やらについて話した。進展なし。
人生を、それがわたしに生じるがままに、それがわたしに関係付けられるがままに、そのようなあるがままを受け止めつつも、いまの自分の対して、別様にありえただろう諸々の自分がずらずらと付き纏ってきて、収拾がつかないまま、それらを抱えていくしかないような感覚。そんな感覚とずっと付き合ってきた気がする。最近は、「可能世界」という考え方を祖父に教えてもらって、興味があったので、それに関する本を何冊が読んでいます。どうやら、無限に多くありうる可能世界といった考え方を経ることで、いまの自分がさらに強固に肯定されるという方向もあるみたいです。わたしがいいたいのは、無限に多くの可能世界から選ばれた唯一のこの世界といった方向ではなくて、世界はただひとつだからこそ無限に多くの可能世界が考えられうるという感じです。実際のところ、なんていっていいのかまだよく分からないけど。